親は毒だが役に立つ

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年子だった私が姉弟を5年以上あけた理由

お題「人生で一番古い記憶」

 

恐らく2歳になったかなっていないかのころですが、高熱で夜中に小児科に行きました。

個人病院だったので和室(確か畳だった気がする)のようなところに通されて点滴をしてもらっていた時、母が横にいて本を読んでくれたのを覚えています。

 

私は年子だったのでいつも母親は妹の世話で全然相手にしてもらえなかったので、点滴してもらいながら本を読んでもらえるのがうれしかった記憶があります。

きっときつかったのでしょうが、うれしかった記憶しかありません。

当時は母親の実家で祖母(母の母)と母の弟とお嫁さんと一緒に暮らしていたので寂しくはなかったのですが、母に遊んでもらった記憶はひとつもありません。

実際大きくなってからも

「あんたは小さい頃はお利巧で全然手がかからなかった。妹はずーっと泣いていて大変だった。」

とことあるごとに言われていました。

叔父(母の弟)やお嫁さん、祖母に遊んでもらった記憶もあるし、近所の子や、祖母の兄の家に遊びに行った記憶もあるけど母と遊んでもらった記憶はきれいさっぱりありません。

母の実家と結婚引っ越した場所はとっても離れていて、私を産んだ産後もかなり長く里帰りしていて父方の祖父母に嫌味を言われたと言っていたし、おそらく妹の時も長く(年単位?)里帰りしていたのでしょうからそのおかげで私は寂しくなかったのは感謝すべきかもしれません。

 

大きくなってからは私は器用でなんでもこなしてきたし、運動も習い事も勉強もできたけど妹は不器用で色々と苦手だったし、器量も悪い、と、母に事あるごとに言われていました。

だからそこそこ成長してからは妹のほうが年子というのは居心地が悪かったと思います。

でも大学卒業して一転。

県外の大学を出た私がアナウンサーになると信じていた母は落胆し、地元に残って手に職をつけて堅実な職業についた妹と立場が一転。

 

高校くらいから毒母との関係が悪化していた私は心身ともに病み、それさえも気に入らなかった毒母はとても攻撃的になりました。

 

なので妹は大学くらいからめちゃくちゃかわいがられ、父に暴言はこうと見過ごされ、今なお妹は孫も含めて毒母に愛玩子としてかわいがられています。

私と母の間を取り持とうなどもなく、毒母ときっと一緒になって私の家族を馬鹿にしているのだろうなというのが端々から感じるのですが、幼少期に母からあまりかわいがられていなかったことを考えると、しょうがないなと思います。

やはりかわいがられている今が居心地よいでしょうからね。

 

ただ、親に「おねえちゃんらしいことをしてもらったことがない」と言ってたぞ。

 

と言われたときは怒りで震えましたね。

 

え?私奨学金借りて、バイトして服とかバッグとか買ってやったじゃん?

大学生の時も。

悩みも愚痴も聞いたし、そりゃ小さい頃は喧嘩もしたけど、一番かわいがってもらいたい赤ちゃんの頃から我慢し続けてきたけど?

そもそも、おねえちゃんぽことってなに?

一年早く生まれたからってなにかしてあげないといけないの?

母を赤ちゃんの時からほぼ独り占めできたんだからよくない?

切迫早産で寝たきりだったって言ってたから私きっと1歳くらいで抱っこもしてもらえなかったよね。

 

今は上の子優先で育児をって言われていますがそれと真逆のことをしてたみたいだから私はきっと愛着形成ができていないのでしょう。

甘え方がわかりません。

いまだに。

 

なので私はこどもは本当は一人っ子が良いと思っていましたが祖母が兄弟いたほうがいいよ、と言うので5年以上あけました。

もちろん産前産後一人で家事育児しないといけないからというのもありますが、本当に本当に辛かったのです。

その生きづらさはいまだアラフォーになってもです。

自分の子には絶対にそんな思いさせたくなかったので数年あけようと思いました。

子どもって意外に小さい頃の記憶を強烈に覚えているものです。

私も気を付けよう。

 

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